「倭人のルーツと渡来ルート」    -説明ー

 
3世紀の日本列島(北部九州)に居た倭人は「自分たちの先祖は呉の太伯の後裔である」と答えている(『魏略』)。紀元前1200年ころの倭人のことである。『論衡』には「周時、天下泰平。越裳は白雉を献じ、倭人は鬯草を貢ぐ」とある。越と朝貢しているから呉の倭人であろう。紀元前1200年ころの倭人は中国の呉地方に居た。

その後、倭人は北上する。『契丹古伝』に「東表の牟須氏から安冕辰沄氏が出た」とある。安冕辰沄氏は天孫降臨する「天氏」である。「東表」は淮河と長江の間をいう。
天氏はさらに北上する。中国山東省臨湽から出土した戦国末~前漢時代の人骨は佐賀県千代田町託田西分遺跡(甕棺墓)の人骨とDNAの遺伝子の配列が一致する人がいるという。「甕棺墓」は天孫降臨した天氏の墓制である。
 天氏はその後、万里の長城の東端の南に来る。そこで「殷(箕子朝鮮)と姻を為す(『契丹古伝』)」とある。そこからさらに大凌河の下流にある医巫閭山の麓へ移る。
一方、倭人には「卑弥氏(賁彌辰沄氏)」も居る。卑弥呼は卑弥氏の出である。卑弥氏も東表から北上して黄河の下流域に住む。『山海経』に「蓋国在鉅燕南倭北倭属燕」とある。そこから大凌河の上流の「倭城」に移る。『水経注』に「蓋し、倭地人が之に徙るか」とある。さらに大凌河を下り、医巫閭山の麓へ来る。
 『契丹古伝』は「(安冕辰沄氏は)国を賁彌辰沄氏に譲る。賁彌氏が立って未だ日が経たないうちに漢寇が方(まさ)に薄(せま)る」とある。漢が侵略してきたとある。「紀元前200年」ころであろう。
 天氏は朝鮮半島南部へ移り、「高天原」を樹立する。さらに「紀元前100年」ころに「筑紫の日向」に「天孫降臨」する。
 「卑弥氏」もその後朝鮮半島南部に移る。これが「後漢時代の倭」である。220年~230年ころ「倭国」は北部九州へ逃げて来て日本列島に「倭国」を再興する。卑弥呼の「邪馬壹国」である。日本列島に初めて「倭国」が誕生する。

   ●古代史の復元①『倭人のルーツと渤海沿岸』 を参照されたし。


  ●倭人の二つの「渡来ルート」はDNAの研究により証明された。


 2009年12月11日の朝日新聞によれば、DNAの国際研究(日本、中国、シンガポールなど10ヵ国・地域、90人以上の科学者の共同研究)でアジア太平洋地域の約70民族・集団の約2千人を対象に調査して人の移動ルートが判明したという。「先史時代のアジアの人類集団の移動ルート」図を載せている。
 それを見ると、「渤海沿岸ルート」と「その北のルート」がある。二つあるのはDNAが異なることを示している。その「二つのルート」は共に遼寧省・朝鮮半島を経て日本列島に移動している。まさに「天氏」と「卑弥氏」の「移動ルート」と一致する。
 私の「倭人のルーツと渡来ルート」はDNAの研究により立証されたといえる。

   ●同人誌「古代文化を考える」56号 (2010年夏)
    「日本の歴史」と渡来人
    -DNAが証明する天氏と卑弥氏の渡来ー      佃  收

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